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実成院

實成院(じつじょういん、文政4年1月18日(1821年2月20日) - 明治37年(1904年)11月30日)は、江戸幕府14代将軍徳川家茂の生母。名前は美佐(みさ)、操子。美喜、於美喜の方とも。

文政年間に御三家紀州藩の高家[1]松平六郎右衛門晋の子として生まれ、16歳のとき紀州徳川家に女中奉公に出され、紀州藩主徳川斉順(11代将軍家斉の7男)の側室となりその寵愛を受け、弘化3年(1846年)江戸赤坂の紀州藩邸で菊千代(のちの慶福・家茂)を生む。俗に「紀州蜜柑に種が有る」といわれる。しかし、そのときには既に斉順は没しており後継の徳川斉彊の命で、菊千代の養育のため剃髪預かりになる。斉彊が没し、菊千代が斉彊を継いで数え4歳で13代藩主となり、元服して慶福と名を改め家督を継ぐと落飾して実成院の院号を名乗った。
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安政5年(1858年)慶福が13歳で14代将軍徳川家茂として、江戸城に入ると、実成院も将軍生母として本丸大奥に入った。

将軍生母の住まいである新御殿には先代将軍家定生母本寿院が、御台所御殿には先代将軍家定御台所天璋院が居住していたため、実成院は七宝の間に居住した。それまで七宝の間に居を構えていた御年寄・瀧山は実成院の入居に伴い、七宝の間から鶴の間に移動した。文久2年(1862年)には仁孝天皇皇女で孝明天皇皇妹、和宮を家茂の正室として江戸城に迎え入れる。実成院は派手好きで、朝から酒を飲み、乱痴気騒ぎを起すことも有ったという。慶応2年(1866年)家茂が大坂城で21歳で没した後も江戸城に居住し、慶応4年(1868年)に官軍による江戸開城にともない静寛院宮(和宮)とともに田安家の屋敷に移った。

明治37年(1904年)に東京千駄ケ谷の紀州徳川邸において84歳で死去、寛永寺に本寿院と並んで葬られた。法名は実成院殿清操妙壽大姉。

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2009年05月30日 10:03に投稿されたエントリーのページです。

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